Hondaの原点
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001 2019/12/02(月) 18:32:28 ID:aK5zRRlFG.
002 2019/12/02(月) 19:49:56 ID:oqSlMAIKls
003 2019/12/02(月) 20:35:01 ID:P/8BnmcHDU
>>1で登場する補助エンジン付き自転車の画像
上段が“バタバタ”と呼ばれたエンジン付き自転車(1946年10月)
下段右はそのエンジン(旧陸軍6号無線機発電用小型エンジンを改良したもの)
下段左は本田宗一郎設計のA型エンジンを搭載したエンジン付き自転車(1947年3月)
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004 2019/12/02(月) 20:40:57 ID:aK5zRRlFG.
005 2019/12/02(月) 20:43:47 ID:JnpjxN7Fvk
006 2019/12/02(月) 21:00:50 ID:P/8BnmcHDU
因みに(
>>4を全部見ておらず、そのエピソードに触れているか不明だが)
本田宗一郎は大の水冷嫌い。
四輪で水冷エンジンが常識化していた時代でも「水冷だって、水を空気で冷やすんだから、空冷の方が合理的だ」と自論を譲らなかった。
社長の自論に逆らえない技術者はDDACなる一体構造二重壁空冷方式を開発したが、
それは構造が複雑で水冷よりも重い物になってしまい、とても合理的とは言えない代物に。
合理的な水冷方式に移行するために、技術者は宗一郎の説得に大変苦労したという逸話がある。
(水冷四輪が出た直後にマスキー法の排ガス規制が施行されたから、遅からず水冷に移行したとは思うけど…)
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007 2019/12/02(月) 21:05:54 ID:UNz3sXEEeE
本田宗一郎と吉村秀雄の
お話しは面白いね。
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008 2019/12/02(月) 21:54:34 ID:P/8BnmcHDU
>>7 社長時代はずっと4スト一辺倒だった宗一郎と
「肺と消化器管がいっしょの原始生物みたいな代物」と2スト嫌いだった吉村秀雄は通じるものがあるね。
技術者としてお互いにシンパシーを感じていたからこそ、当初吉村はホンダレーサーのチューニングを手掛けていたんだと思う。
それだけに、ホンダがHRCの前身であるレーサー専門部署を組織した時、
吉村としては「裏切られた」という気持ちだったらしいけど。
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009 2019/12/03(火) 00:30:22 ID:z7P/CbE6CU
010 2019/12/03(火) 08:41:44 ID:qQh13B5QWg
Hondaの原点の最後はこれかな?
この後2ストに切り替わったし・・・
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